今、Twitterで話題になっているコーネリアス小山田圭吾氏の
学生時代のイジメの報道が大きく問題視されている。
彼の年齢は50代だが、学生時代10代の頃にイジメをしており
それを音楽雑誌のインタビューに語っていた。
90年代に発売された音楽雑誌が今になって大きく
報道されたということである。
そしてオリンピックの開会式の音楽を担当しているため
ふさわしくないというわけでメディア、SNSで大きく
叩かれている。
内容としては障害を持った同級生に排泄物を食べさせたり
自慰行為を強要させたりと、想像を超える内容が記事になっていた。
雑誌に子供の頃にイジメていた内容が鮮明にこくされていて
武勇伝のように記事にされていたことには大きな衝撃を受けた人も
多いだろう。
日本には独特なイジメ文化があるような気がしてならない。
それは学校環境である。
みんな制服を着せられて、前向け前、右向け右
そして成績が教室に張り出され
落ちこぼれの生徒はどんどん落ちていく。
そんな中で、何か病気を持っていたり
障害を持っていた学生は、イジメの標的にされることが多い
私も学生の頃は、本当に体が弱い学生で
イジメの標的になることが多かった。
黒板に悪口を書かれたり、急に殴られたり、
子供は残酷だ。
思ったことを口にする。
言葉の暴力も、肉体の暴力も
「心に傷をつける」
それが深く残っているのだ。
家ではまじめで優しいあなたのお子さんも学校で
同級生をイジメている可能性もある。
先生ですら、そのイジメの加担をする
始末であり、その時間が永遠に続くがのごとく
心の傷として深く刻まれていたのが分かる。
イジメている彼ら、彼女らは何にも罪悪感を感じていないかのように
それを楽しんでいるかのうようだった。
集団で集まっては一人をターゲットとして
イジメる手段を考えては、それを実行する。
イジメられた被害者は大きな心の傷を持って、
成長していく。
その中には、イジメを原因にして、自殺をする子供たちが
多いのも日本の特徴である。残された家族は
亡くなってから、自分の子供が壮絶なイジメに合っていたことに
気づくということもある。
非常に不幸な結末だ。そこには悲しみしかない。
そして学校はイジメを隠蔽し、矮小化することしか
考えていない。
イジメよって亡くなった事件を目のあたりにするにつけ
大人たちのエゴ、自己保身に命の存在の軽さを
感じることができる。
日本は先進国の中でも10代の死因一位が自殺という稀有な国である
そして先生や親、大人は本当にイジメという存在に気づかないし、
救ってくれないというのが大きな問題点である。
イジメられた子供は独りで苦しみを抱えて
いつまで続くかもわからないイジメに必死に
耐えていく、その負担は計り知れない。
今やイジメはSNSやインターネットの中に存在しており
それを見つけることがより困難な時代になっている。
インターネットに誹謗中傷がかかれ、悪口がかかれ
イジメに加担をしている同級生が誰だか
分からないという始末。
SNSに疎い大人たちは、子供たちのインターネットという世界に
翻弄され、また次の犠牲者が生まれる。
そして一人で抱えてしまい、不幸にも自殺を選択してしまう
子供が多い国、それが日本である。
そして何とかいじめに耐えた子供が成長し、大学を卒業し
社会に出た後に大人の社会にもイジメという文化が
存在することに気づく。子供の頃のイジメに耐えれば
大人の社会では自由だと思って、何とか生き延びてきたが
その不都合な真実に驚愕する。
非常に優秀な人間でも、会社の方向性に合わない、そして
同調圧力に反抗した人間は、叩かれ
無視され、様々な仕事の枠から外されていく。
まさに子供の社会も大人の社会もイジメが存在するのである。
それに気づいてない人達は非常に幸運なホワイト企業だったのか
アンテナを張っていなくて、気づかなかったかの
2択だろう。
子供の頃にイジメを受けた人間が、どのような人間になるのか
少なくとも私は人間関係を築くのが下手だし
ひとに関わることが苦手で、内向的な性格だ。
そして他人を信用していないし、期待することを次第に
辞めてしまう。
小山田氏の記事を見て、なぜか自分の子供の頃のイジメの記憶が
フラッシュバックしたという人も多くいるのが事実ではないか。
少なくとも私は忘れかけてた記憶がよみがえった。
あの頃の自分に言いかけたい言葉があるとすれば
ただ生きていることが幸せだと思える時が来ると
好きな音楽や本屋、旅行に行ったり
美味しいものを食べてることが幸せだと感じることが
出来ればいいよって言ってあげたい。
無理しなくていいから、
生きてるだけで幸せだって
好きな音楽を聞けて、
あなたの幸せを願っている人もいるはず。
大丈夫だよ
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