【君たちはどう生きるのか】コペル君が教えてくれたことは哲学である

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こんにちは、らく助です。

冬服を出し、布団を出し、ヒーターを押し入れから出すという冬への準備をしていると時間はあっという間に過ぎてしまいます(*^-^*)

1930年に発表された小説 吉野源三郎の「君たちはどう生きるのか」

漫画版を読んだ後に色々考えることがありましたので記事にいたします。

漫画版は主人公のコペル君の顔が表紙の皆さんも本屋で見たことがあるのではないかと思いますが、200万部のベストセラ-作です。

この記事を読んでくれる方の中にも本を読んだという人がいるかもしれません。

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子供の世界は果てしない

子供が考える世界というは宇宙のようです。

学校という世界の人間で出会う数は多くても数百人なのでそれほど数が多いわけではありません。その出会いの中でなにを学べるか、それが大事になってくるのですが、

子供が想像する世界は果てしない無限の世界であると思います。

主人公のコペル君はこの本を通して教えてくれます。

コペル君の人物像

時代は1937年の日本です。

主人公の中学生本田潤一ことコペル君は学校で成績優秀、物事を論理的に考え、人生とはなにかを悩み、学校での人間関係を通し学んでいきます。父親を早くに亡くし、母親と2人で暮らしてます。

母親の弟の叔父さんと仲が良く、その叔父さんがコペル君の人生を導くメンターとなっていきます。

なぜコペル君と叔父さんが命名したかというのも、彼が人間はみな分子で繋がっているということを解いたことが、まさにコペルニクスの大発見と同じくらいの価値があるからということからです。

コペルニクスが解いた地動説は、宇宙で地球が動いてるなんて、多くの人に馬鹿にされ、それが科学的に認められるまで数百年かかったそうです。

学校の人間関係から学べる人生の教え

コペル君は、上級生のいじめから何があっても友達を守るという約束を破り、上級生から

いじめを受けている友達を置いて、自分だけ逃げてしまいます。

それから自分なんて死んでしまえばいいのにと自責の念にかられ悩んでしまいます。

子供のころは些細な事でそれまで仲がよかった友人と関係が切れてしまっったり

約束を破ることで関係が保たれなかったというとの経験が誰しでもあるはずです。

わたしも仲が良かった友達にあの時に謝っていればと後悔したこともあります。

素直になれなかったり、あいつが悪いんだって決めつけたり、

自分のことを肯定したり、否定したり、悩みがつきなかったように思います。

いじめられたら心を閉じてしまい、優しく手を差し伸べてくれる友達にも素直に心を開くことができなかった経験は多くの人があるはずです。

コペル君がとった行動から学べる教え

コペル君はその友達に対し、謝罪の手紙を書くことを決意します。

自分が過ちを犯してしまった、約束を破ってしまったということに対し

人に謝るということは大人でも難しいものです。

子供はなおさらできるものではありません。

ただコペル君は、叔父さんからの手紙で、人生で何が本当に大事なことかを考えることは人間とは何か?」「人生とは何か?を学ぶ大事な過程であることを学びます。

その中で悪いことをしたら、人に謝るということは難しいことであるが勇気を出して行うことに意味がある、それが大切であることに気づきます。

その気づきが人生の学びであることをコペル君は教えてくれます。

子供が初めて人が死ぬというのを理解するとき

皆さんは子供の時、初めて人は死ぬものだと理解した時何とも言えない寂しさや孤独を感じた経験はなかったでしょうか?人にとって一つだけ確かなことは
遅かれ早かれ皆死ぬという事実なのです。

例えば、今までお年玉をもらってた祖父母や親類の人が亡くなってお葬式に初めて出席をしたとき、人が棺桶に入って白装束に包まれ親族で故人の思い出を語る。そして火葬場にバスで向かい、それまで肉体が存在していたのに、骨だけが残り、家族でその骨を拾い壺に入れるという作業を見て、初めて人が亡くなるということ子供ながらに理解するのです。

子供の悩みは大人の悩みである

私は子供のころ悩んでいたことは大人になっても学び続けるものだと考えています。

上記で述べた人が死ぬということに関しても、大人になって多くの機会で葬式に出ることはあっても子供のころから感じた思いが何か大きく変わったかということはないのです。

人がなぜ生きるのか、そして人がなぜ死んでいくのかということに答えを出せる人はいないと思っているし、それは人生のテーマだと信じています。

コペル君が教えてくれたこと、人間は分子である

人間分子の法則というのは、高層ビルで下を見たとき多くの人が歩るいているのを見た時この人たちと直接話すことは一生涯ないのかもしれないが、例えば何かジュースを飲むときにだって、

そのジュースの原材料が外国で作られ、それを輸出する人がいて、船で運ぶ人がいてそれを輸入する人がいて、お店で発注する人がいて、お店で売る人がいて、お店に並べる人がいて初めてそのジュースを手に取ることができるということを理解するということなのです。人間みな分子で出来ているというのはそういうことなのです。

読書の大切さを学ぶ

コペル君は、叔父さんの書斎に本がたくさん置いていることで、多くの本を読み漁ります。

そこで「君たちはどのように生きるのか」というのを学びます。

読書というのはインプットを行う上で非常に大切ですが、人の考えや哲学を学ぶということ偉人の伝書や小説、時代は異なっても、人が悩んでいたことは同じであるということを学ぶことができます。

コペルニクスのように、周りにどんなに批判されようとも自分の研究や信念を貫いたという人、そんな人をコペル君は目標にどこかで生きているかもしれません。

 

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